大判例

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仙台高等裁判所 昭和32年(う)157号 判決

論旨は、被告人の犯行は過剰防衛行為であると主張するので審按するに、被告人の実兄佐市はかねてより素行修らず、父勇に対してしばしば金を無心し、同人所有の土蔵まで勝手に売り飛ばしてしまう有様であつたので、昭和三〇年八月頃父より生業資金として金二〇〇、〇〇〇円を与えられて別居することとなつたこと、その後佐市はしばらく消息を絶つていたが、昭和三一年七月二三日頃から再び父のもとに姿を見せるようになり、酒気を帯びて金を無心し、拒否されれば乱暴を働く始末であつたので、被告人は父の心労を察し、佐市の暴状を心よくなく思つていたもので、本件が右のような事情を背景として起きたものであることは、原判決の引用証拠によつて明らかである。次に、被告人の司法警察員に対する昭和三一年八月四日付及び同月五日付各供述調書、被告人の検察官に対する前掲各供述調書、原田勇の検察官に対する同年八月九日付及び同年九月一五日付各供述調書、原審第二回公判調書中証人原田勇の供述記載、原裁判所の同証人に対する尋問調書、原田千代の検察官に対する同年八月一〇日付及び同年九月一五日付各供述調書、原審検証調書によれば、同年八月三日被告人が本件犯行を犯すに至つた経過てん末は次のとおりである。佐市はその日の午後五時頃例のごとく父勇方に赴き、四畳半室にあがりこんで持参の一升瓶の酒を飲んでいたが、間もなく帰宅した被告人を呼び寄せ、酒をすすめながら、「今日はおまえととうさんの血を見せてもらいたい」などと暴言を吐き、その頃帰宅した父勇に対してもいきなり開き直つて、「今日はただでは帰らない、おやじの血を見なければ帰らない」といい、「五万円出せ」と要求し、拒絶されるや、茶わんやコツプを叩きつけるなどの狼藉を働き、やがて外出したが間もなく一升瓶詰の酒を持参して四畳半の部屋に帰り、同室に居残つていた勇に対し「おやじ飲め」と酒を強い、断わられるや、やにわに平手で勇の頬を殴打し、一升瓶を同人に投げつけ、他の一升瓶を振り上げて同人に殴りかかるような気勢を示したので、勇は身の危険を感じて、同室の西南隅にある廻戸を開き、縁側に出て佐市の様子を窺つていたところ、酒を畳の上に注ぎかける音がし、続いて瓶の割れる音がしたと思う間もなく、隣り六畳室を廻つて縁側の方に出て来る佐市の姿を認めたので、素足のまま縁側から板塀囲いの裏庭に飛び降り、南側の塀の中央に取りつけてある裏木戸の前に立ち止つて振り返つて見たところ、佐市が右手に刃渡約三寸五分の出刃庖丁(証二号)を持ち「やるぞ」と叫びながら縁側から飛び降りて迫つて来たので、勇は後手で裏木戸を開けて逃げようとしたが、あわてて手のかけどころを誤つたためか戸がどうしても開かず、進退きわまつてかたわらに立てかけてあつた長さ約七尺の一寸角棒(証四号)を取り、両手でその一端を握り、これを振り廻して佐市を寄せつけまいとしているうちに、同人に他の一端を左手で押えられてしまつたため、ここに、棒をさしはさんで、佐市は右手に持つた出刃庖丁を腰に擬して今にも勇に突きかかろうとする気構えを見せ、勇は佐市のこの気構えに押されて動きのとれない窮地に追いこまれてしまつた。一方、被告人は当初から四畳半室や六畳室にいて佐市の暴状をつぶさに見せつけられ、それが次第に募るのを見て恐怖にかられ、北側玄関附近に退避していたが、佐市が四畳半室から立ち上り、さきに縁側の方に逃れ出た勇のあとを追つて六畳室に廻つたのを認めるや、勇を救援しなければならないと考え、台所から刃渡約七寸の出刃庖丁(証一号)を取り出して右手に持ち、玄関を出て家の北側から西側に廻り、南側に出て裏木戸を開け、裏庭にはいつたところ、あたかも佐市が棒をさしはさんで勇に立ち向い、右手に出刃庖丁を握つて腰に擬し、今にも突きかかるような構えを見せていたので、とつさに勇の身の危険を感じ、同人を救うためには佐市を殺害する外はないと考え、いきなり佐市の手元に飛びこみ、所携の出刃庖丁で同人の左胸部を突き刺し、ひるんで六畳室に逃げこんだ同人を追い、同室で更に右庖丁或は同人から奪い取つた出刃庖丁でその胸部・頭部等を十数回突き刺して前記のごとき重傷を負わせた結果同人をして間もなく失血のため死亡するに至らしめたものであることが認められるのであつて、当審における事実取調の結果によれば、叙上の認定の誤ないことが一層明らかである。以上の経過から見れば、佐市の勇に対する侵害はもとより不正のものでかつ急迫していたものであり、被告人が佐市を刺殺したのは、この急迫不正の侵害から勇の生命身体を防衛するためであつたと認めなければならない。原判決は、佐市の勇に対する侵害は急迫のものではなかつたといい、その理由として、棒の長さは約七尺であるから勇と佐市との間隔もほぼそれに近く、佐市は右手に出刃庖丁を握り腰に擬したものの勇の抵抗により容易には同人の身辺に近寄れずにいたものであり、裏木戸が全く開かない状態にあつたものでもなく、勇が追い詰められて窮地に陥つたものと認むべき証拠もなく、かえつて勇は棒をもつて反撃に出たような事情も窺われると説示している。しかしながら前掲証拠によれば、勇は佐市の暴行に対しては守勢に終始し、いな守勢に終始したというよりはできるだけ逃げおおせようとしていたもので、進んで同人に反撃を加える意思はなく、そのような行動もとらなかつたことは極めて明らかであり、そのことは前段認定の経過からも窺われるのである。勇が棒を取り上げたのもそれによつて佐市に反撃を加えようとしたのはでなく、逃げる途を失つて止むをえずそれで佐市が身辺に近寄ることを妨げようとしたにすぎず、それとても、佐市にその一端を押えられてもはやその効を発揮するに由ない状態に立ち至つたのである。なるほど、その棒をさしはさんで一見佐市と対峙するような態勢になつたのであるから、両者の間には棒の長さすなわち約七尺に近い距離があつたわけである。しかし、気魄においても膂力においても、もともと反撃の意思のないすでに初老を越した勇をはるかに凌駕するものと認められる佐市にとつて、その棒を手元にたぐつて勇を引き寄せ或はその棒から手を離して勇の手元に飛びこむぐらいのことはさして困難なことではなく、もしそのようなことになれば論旨のいうとおり万事は休するのであつて、両者がその棒の両端を互に握ることによつて、攻繋力と防禦力とが相均衡しにわかに波乱をまき起すことのない平衡状態を生じたものとは認め難いのである。のみならず、前掲証拠によつて明らかであるように、三方が高さ六尺三寸の板塀によつて外部と遮断され、中に花壇があり、物置があり、空地としては数坪しかない前後にも左右にも進退意のごとくならない狭い庭内での出来事である。なるほど、被告人が外側から裏木戸を開けて庭内にはいつたことから見ればそれまでその木戸には鍵をかけておらず従つて戸が全く開かない状態にあつたわけではないと認められることは原判決の説示するとおりである。しかし、気が動顛しているような場合には、往々にして開くはずの戸を開けようとしても開かないことのあるのは、われわれの日常経験するところである。現に勇は棒を取り出す直前に佐市の攻撃から逃れようとして後手でその木戸を開けようとしたが、あわてて手のかけどころを誤つたと見え開かなかつたことは、さきに認定したとおりである。而して、すでに出刃庖丁を右手に握り腰に構えて狽つている佐市を目の前に迎えるに至つた状況下において、勇が再度その木戸からの逃避を試みるには、いかに態勢を崩すまいとしても、少くとも後ずさりをし片手を棒から離して戸を開けるための若干の操作をしなければならないわけであるが、このことは佐市の乗ずる絶好の機会とならないとは保障し難いのである。もつとも、被告人は、検察官に対する昭和三一年九月一六日付供述調書において、佐市の勇に対する攻撃は切迫していなかつたもののように述べている。その理由として佐市は出刃庖丁を腰のあたりに構えていたもので振りかぶつていたわけではなかつたことを挙げている。しかし、刃渡三寸五分ぐらいの出刃庖丁を兇器として用いる場合には、それを手に持つて振りかぶるよりは、それを手に持つて腰に擬する方が、攻撃する者にとつては最も有効な、相手にとつては最も危険な構えであることは、論旨のいうとおりである。被告人の検察官に対する右の点に関する供述は、佐市の暴状に対する反感のみから殺意を抱くに至つたことを強調するあまり―殺意を否定することのできないことは前説示のとおりであるが―事態の様相を右の説明に都合の良い方向に持つて行こうとしているかのごとき観があるのであつて、当時における被告人の正しい認識内容を吐露したものとは受け取り難い。以上の次第であつて、佐市の勇に対する侵害が急迫性を欠いていた旨の判決の認定は誤であるといわなければならない。ただ、被告人が佐市に対して反撃を加えたのは、同人の勇に対する急迫不正の侵害から勇の生命、身体を防衛するためであつたにせよ、それを防衛するためには、佐市から侵害を実現する行動機能を奪えば足りるのであり、従つて、被告人が前説示のとおり殺意をもつて佐市の左胸部を出刃庖丁で突き刺し、ひるんで逃げる同人を追いかけてまでもしかも十数回に亘り同人の胸部、頭部等を同様出刃庖丁で突き刺して重傷を負わしめた結果同人をして失血のため死亡するに至らしめたのは、客観的に見て明らかに適正妥当な防衛の程度を超えたものといわなければならないから、被告人の行為はいわゆる過剰防衛行為にあたるものと認めるのを相当とする。従つて、原判決が被告人の行為が過剰防衛行為の要件を具えないものとしたのは、その要件にあたる具体的事実を誤認したもので、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らがであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

(裁判長裁判官 斎藤勝雄 裁判官 有路不二男 裁判官 杉本正雄)

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